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鶴松誕生・小田原征伐

1589年に秀吉、五十三歳に念願の跡継ぎが生まれ「鶴松」と名付けられました。

その後、北条氏の家臣、猪俣邦憲が、真田昌幸家臣、鈴木重則が守る上野国名胡桃城を奪取したのをきっかけとして、秀吉は1590年に関 東に遠征、後北条氏の本拠小田原城を包囲しました。

東北諸大名にも、臣下としての小田原参陣を要求。

しかし東北の大半を制していた伊達政宗は、派兵を渋り姿を見せなかった為に、秀吉は激怒します。

その様子を知った政宗が、あわてて死装束をまとい秀吉の元に赴き謝罪した為、秀吉は遅延を許した。この時秀吉は平伏する政宗の首を扇子 で軽くはたき、「もう少し来るのが遅ければここが危なかった」とつぶやいたとも言われています。

小田原城は、上杉謙信や武田信玄でも落とせなかった堅城だが、天下をほぼ手中に治めた秀吉の前では無力であった。

三ヶ月の篭城戦ののちに北条氏政・氏直父子は降伏。氏政・氏照は切腹し、氏直は紀伊の高野山に追放された。(小田原征伐)


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