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諭吉の死

 1901年(明治34年)1月25日に再び脳出血で倒れ、2月3日に再出血し死去しました。

葬儀の際、遺族は福澤の遺志を尊重し献花を丁寧に断っていましたが、盟友である大隈重信のものだけは黙って受け取りました。

諭吉は、大学の敷地内に居を構えていたため、慶應義塾大学三田キャンパスに、彼の終焉の地を示した石碑が設置されました。

(旧居の基壇の一部が今も残る)戒名は「大観院独立自尊居士」で、麻布山善福寺に諭吉の墓があり命日の2月3日は雪池忌と呼ばれ、多くの慶應義塾関係者が墓参しています。

1977年(昭和52年)、最初の埋葬地から麻布善福寺へ改葬の際、遺体がミイラ(死蝋)化して残っているのが発見された。

外気と遮断され比較的低温の地下水に浸され続けたために腐敗が進まず保存されたものと推定されました。

学術解剖や遺体保存の声もありましたが、遺族の強い希望でそのまま荼毘にふされました。


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