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渡米

 万延元年(1860年)福澤は咸臨丸の艦長となる軍艦奉行木村摂津守の従者として、アメリカ合衆国へ渡りました。

このアメリカ行きによって、諭吉の目は世界に向かって開かれました。

なお咸臨丸の指揮官は勝海舟でした。

後に諭吉は、蒸気船を初めて目にしてからたった7年後に日本人のみの手によって太平洋を横断したこの咸臨丸による航海を日本人の世界に誇るべき名誉であると述べていました。

(なお当時、福澤と勝海舟はあまり仲が良くありませんでした。

一方、木村摂津守とは明治維新によって木村が役職を退いた後は、晩年に至るまで親密な交際を続けていました)アメリカでは、科学分野に関しては書物によって既知の事柄も多かったが、文化の違いに関しては様々に衝撃を受けました。

福澤は、通訳として随行していた中浜万次郎(ジョン万次郎)とともに「ウェブスター大辞書」の抄略版を購入し、日本へ持ち帰って研究の助けとなりました。


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