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魏とは…

3世紀頃の中国では後漢という国が滅び、魏・呉・蜀の3国に分かれていたのです。

その中でも魏という国が最も力があり、朝鮮半島の北部も手に入れていたので卑弥呼は力のあった魏を後ろ盾にしようと考え、239年に卑弥呼の使いが魏へと向かいます。

この時、使者となった難升米ですが、この頃の船はボートのような形で両側に漕ぎ手が並び、ひたすら漕ぎ続けて海を渡ったのです。

無事に朝鮮に着き、初めて訪れる国で不安になっていましたが魏では卑弥呼からの絹織物などの贈り物も納め、労いの言葉をかけ、卑弥呼に「新魏倭王」の称号と金印を授けると告げられたのです。

この頃の魏は朝鮮人達自身での国家統一が進んでいたため味方となる国がほしいと考えていたので魏王は倭国の使者を歓迎したのです。

そして、難升米達は魏王からの沢山の贈り物を持ち帰ります。

その贈り物には真珠、中国製の織物、鏡100枚などがあり、人々に披露する事で邪馬台国の基礎を固めていこうと考えていたのです。

そして翌年の240年に魏から約束の金印と刀などが届けられ、卑弥呼は金印をとても喜んだのです。

この金印は朱肉などが無い時代でしたので粘土の固まりをつけて印を押す封泥という使い方をしたのです。

封泥とは現在の現金書留の封印と同じ役目をはたす物です。

そして245年に卑弥呼に黄色い旗を贈るため魏の使いが倭国へ向かいますが、魏の支配から自由を求めた朝鮮人達が武器を持ち、戦いが起きた事で旗の使いは通行できず、戦いが終わったのが2年後だったので卑弥呼は魏王が旗の事を忘れているのだと思いましたが、忘れてはいなかったのです。

そして今度は張政という役人を倭国に向かわせ、邪馬台国に到着すると張政が戦いを止めさせようと説得しましたが戦いが終わる事は無かったのです。

それから卑弥呼が亡くなってから争いがさらに悪化していき、壱与が女王になると平和になり、張政は安心して魏国へと帰る事になります。

その後も248年に壱与が魏へと使いを送っているので魏国との関係は続いたと思われます。


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