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邪馬台国とは…

邪馬台国の事は「魏志」倭人伝に書かれています。

当時の中国は3国にわかれていて、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)とあり「魏志」は魏の歴史書の事で日本の事は倭国(わこく)、日本人を倭人(わじん)と呼んでいました。

「魏志」で倭人について書かれている部分を「魏志倭人伝」と呼んでいます。

しかし、魏志倭人伝に書かれてある通り邪馬台国に行こうとすると南九州から沖縄にかけての海中になってしまい間違って書かれている事は確実ですが何処が間違って書かれているのかが分かっていないのです。

他の場所でも邪馬台国だったと思われている所があり、中でも2か所が有力とされていて九州説と畿内説が挙げられています。

九州説では北九州、畿内説では奈良県付近だったと言われていますが本当に邪馬台国のあった場所はまだ解明されていないのです。

そして当時の倭国は幾つもの国に分かれていて互いに激しく争う日々が続き、この頃の邪馬台国には男性の王が居ましたが国をまとめられず、争いを収める事ができずにいたのです。

そこで王ではなく女性であり不思議な力を持った卑弥呼を女王にすれば邪馬台国はまとまると考え、女王・卑弥呼が誕生します。

邪馬台国は30ほどの国からできた連合国で卑弥呼が女王になると争いも無くなり、国はまとまり始めます。

しかし、卑弥呼が亡くなると男性の王をたてますが争いは収まらる事は無く約1000人の人達が殺されたと言われています。

その後、女王をたてる事になり13歳だった壱与を女王にすると邪馬台国は再び平和を取り戻す事ができたのです。


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