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「女王」卑弥呼とは…

魏志倭人伝には、卑弥呼は鬼道に通じていて歳はとっているが結婚はせず独身で、弟が居てまつりごと(政治)を助けていると書かれています。

鬼道とは現在の占いの事だと言われていて、幼い時からまじないや占いの力があり、それが良く当たっていたので“神と話ができる”と崇められていたのです。

10歳頃には洪水など起きていない所で洪水になると予言し、数日後に本当に洪水になり事前に避難していた人々が助かり、卑弥呼は神童だと騒がれたのです。

そして、卑弥呼が女王になってからの姿を見た者は少なく、卑弥呼が神のお告げを聞き、それを弟が人々へと伝えていたのです。

法律を定めたり、中国へ使者を送ったり、まつりごとを実際に行っていたのは弟だとも言われています。

卑弥呼は宮殿の奥に住み、宮殿の周りは武器を持った兵が守り、1000人もの召使いがいたと言われています。

そして、この時代には天気予報なども無いので大雨や台風なども予言できた卑弥呼はとても大事にされ、予言通り収穫の秋に水田で大豊作となった時には1番に卑弥呼の元へ米が届けられ、神への感謝の儀式も行っていたのです。

それから、卑弥呼の弟の他に難升米(なしめ)と呼ばれる男性が卑弥呼を助け、活躍します。

難升米は魏にも派遣され重要な役割を果たしています。

難升米達が魏へ行った時は、魏王から卑弥呼へ「親魏倭王」の称号と金印など多くの宝を贈られた事で、魏の力を借りて邪馬台国をまとめていく事を卑弥呼は考えていたのです。

その後243年にも再び魏へと使者を送った時、魏王に隣国の狗奴国との戦いが始まった事を知らせます。

そして245年に魏王は励ましと応援の黄色い旗を贈りますが1年が過ぎても届かなかったのです。

それは、旗の使いが争いに巻き込まれて前に進めず、黄色い旗が邪馬台国へと届けられた時、人々は勇気付けられましたが戦いは収まらず、卑弥呼は亡くなってしまうのです。


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