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同盟から長篠の戦いへ
1562年家康は織田信長と互いに助け合うという「同盟」をむすびました。そして1564年には三河を統一していきました。
1570年岡崎城を長男の信康に譲り家康は三方ケ原台地に浜松城(静岡)を築きました。
城郭は東西約450m南北約500mでした。
駿府城に入るまでの17年間を過ごし家康が活躍した時でもあったため出世城とも呼ばれています。
しかし、岡崎城主になった信康は謀反の疑いをかけられて自害してしまいます。
1572年三方ケ原の戦いでは家康と武田信玄が戦いました。
徳川軍が11000(織田援軍3000)武田軍が25000での戦いで兵数や戦術で勝つ事はできず家康は逃げ帰りました。
1575年長篠の戦いでは三河に武田信玄の息子・勝頼が軍を率いて攻めてきたため織田信長に応援を頼みました。
信長は3000丁の鉄砲を使い武田氏の騎馬隊を討ち破ったのです。当時の鉄砲は火縄銃で撃つまでに時間がかかったので3列に並び前から 順番に銃を撃つ三列戦法を考え出したのです。
その信長も1582年に本能寺で明智光秀に攻められ自害しました。