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朱印船貿易とは?
家康は朝鮮との国交を回復させ東南アジアとの貿易も行いました。
1600年にオランダ船の航海長だったアダムスを気に入りオランダとの貿易を積極的に行いました。
そして日本の貿易船が海賊と間違われる事があったため正式な貿易を行う人達に海外渡航許可証を発行しました。
これを「朱印状」と呼び朱印状を持った船を「朱印船」といいました。
朱印状には朱印が押されてあったことから「朱印船貿易」と言われました。
この貿易で日本からは銀や銅などの鉱産物・扇・刀などが輸出され、輸入した物は中国産の生糸・火薬・香料などでした。
この朱印船は1604年から1635年の渡航が禁止されるまで約350艘が渡航しました。
朱印船、外国船に乗って海外に渡った日本人の数は10万人になるそうです。
そして、1604年の日本は絹織物を作るのに生糸を輸入に頼っていたため生糸の値を高くされて困っていました。そこで京・堺・長崎の商 人で仲間をつくり輸入する生糸の値を日本から指定し、まとめて買い入れ日本国内の商人たちに売るという取り引き方法を考えました。
これを「糸割符制」といい輸入する商人仲間を「糸割符制仲間」と呼びました。
その後、江戸と大坂の商人も仲間に加わりました。この方法は日本には有利でしたがポルトガルなど輸出する国にはあまり利益のない取り引 き方法でした。
1613年にはイギリス船も来航し日本との貿易を行いました。
そのころスペインとの貿易を成功させたかった家康は伊達政宗の家臣・支倉常長をヨーロッパに行く許可も出しました。