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法興寺

 596年、まずは国内初の本格的仏教寺院の法興寺(現飛鳥寺)を完成させました。

五重塔と伽藍を備えた荘厳な寺院でした。

大和政権は百済人を中心として、優れた建築術・彫刻技術を持つ者を大量に受け入れており、渡来人は宮廷人口の3分の1にまで達しました。

その意味でも出身国の関係なく互いの心を結ぶ仏教が益々重要になりました。

そして600年、ついに太子は120年ぶりに使者を大陸に派遣しました。

 隋を建国した文帝は官僚の登用に際し、貴族が世襲制で就任していた伝統を廃して、真に優秀な人材を確保する為に、全ての人々に登用の機会を与える科挙(国家試験)を導入した人物でした。

 日本の政治システムを問われた使者は、大和政権に法令もなく政治的に未成熟だったことから、天皇の権威を全面に出す為に古来の日本神話を引き合いに出してしまいました。

文帝は呆れ果て「倭国(日本)の政治は道理にかなっていませんでした。

指導して改めさせねば」と語り、使者は外交関係を結んでもらえせんでした。


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