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太子と未来の国

 太子は未来の国を造る若い人材を育てる為に、政治の第一線から離れました。

、教育者として斑鳩宮(法隆寺東院)で仏典の研究に没頭しました。

太子は20歳の頃から仏教の慈悲の心の実戦として、民の救済の為に力を尽くしてきた。

四天王寺には貧しい人の為の施薬院(薬局)、療病院(病院)、悲田院(飢えた人を救い身寄りのない老人を世話した社会福祉施設)などを設けていました。

太子は高句麗の高僧・慧慈(えじ)に師事し、全ての人が慈悲心を大切にする平和国家の実現の為に、615年(41歳)、仏教の教科書となる「三経義疏」を作成し、人々が興味を持ちやすいように、膨大な仏典の中から選んだ「三経」は、“誰でも必ず仏に成れる”とシンプルに説く「法華経」、唯一女性が主人公の仏典「勝鬘(しょうまん)経」、問答式で親しみやすい「維摩(ゆいま)経」を選びました。


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