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聖徳太子伝暦

 643年、太子が亡くなって二十年あまりが過ぎて推古天皇、蘇我馬子もこの世を去っていました。

蘇我の入鹿に襲われて斑鳩宮が焼失しました。

十一月太子の理想をついだ山背大兄王(やましろのおおえのおう)をはじめとする太子一族は斑鳩寺において自害しました。

 後世、太子は人並み優れた人物として多くの伝説を生み信仰の対象となりました。

917年、藤原兼助(ふじわらかねすけ)によって「聖徳太子伝暦」が編集されて、平安時代末期には絵伝として掛絵や絵巻物が多く作られ、庶民の間に太子信仰を広めました。


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