スポンサード リンク

随の誕生

 593年の摂政就任の4年前に、大陸には約370年ぶりの統一王朝・超大国、隋が誕生しました。

朝鮮半島では高句麗・新羅・百済が覇権を競っていました。

日本は100年以上も中国と公式に交流を持ってなく、大陸の情報が極端に不足していました。

 太子は渡来した高僧から隋が高度な文明社会を築いていることを聞かされました。

隋には法律と官僚制による行政システムがあり、政治に儒教を導入して役人に道徳を重んじさせ、首都長安では仏教芸術が花開いていました。

 当時の日本は大豪族が一族の利益を求めて互いに争い、民衆の暮らしは常に困窮していて、あまりにも政治制度が立ち遅れていました。

太子は先進国の隋と国交を結ぶことで、最先端の文化や技術を採り入れて、交流を通して日本の国際的地位を向上させようと思いました。

馬子も太子と同じ考えであり、両者は協力して改革に取り組みました。


menu
太子の誕生
摂政
随の誕生
法興寺
遣隋使の派遣
「冠位十二階」「十七条憲法」を制定
太子の死
太子と未来の国
聖徳太子伝暦
太子の墓
link