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「源氏物語」

 「源氏物語」とは紫式部が執筆した物語。

紫式部が書いた「源氏物語」は全編54帖もある長編で、その内容は、800首弱の和歌を含む典型的な王朝物語でした。

帝の御子でありながら源氏という臣下(ただ人)の身分に落とされ、皇位継承権を失った皇子(光源氏)の王権復活の 物語で、当時の王朝貴族の華やかなりし時代を背景に語られ、その構成は大きく3部に分かれ第1部は、桐壺(第1帖)〜藤裏葉(第33帖)桐壺帝の第二皇子として光源氏の誕生しました。

光源氏は父、桐壺帝の妃である藤壺の宮を 思慕し密通。

藤壺は皇子(のちの冷泉帝)を出産しました。

光源氏は生涯を共にする紫の上と出会い引取って理想の女性へと育てました。

政敵の娘である朧月夜との関係が露見し、須磨・明石へ退居するが許され帰京しました。

 様々な女性との出会いと別れ、六條院の造営と六條院に住まう女君たちとの交流が描かれました。

光源氏と葵の上との息子である夕霧は頭中将<内大臣>の娘である雲居雁(くもいのかり)と結婚しました。

光源氏と明石の君との 娘である明石の姫君は東宮<皇太子>に入内しました。

光源氏は准太政天皇の待遇を得て位人臣を極めました。

 第2部は、若菜上(第34帖)〜幻(第41帖)光源氏晩年の物語。

朱雀帝の第三皇女である女三の宮(おんなさんのみや)が 光源氏のもとに降嫁しました。

明石の女御が第一皇子を出産し、皇子はのちに東宮<皇太子>となりました。

紫の上が病に倒れ二條院へ移住するが光源氏が二條院で看病している間に頭中将<内大臣→致仕の太政大臣>の息子・柏木は 六條院に住まう女三の宮と密通。

女三の宮は男児(薫)を出産しました。

柏木死去。

夕霧は柏木の未亡人である落葉の宮(おちばのみや)を見舞ううちに思慕するようになり結婚しました。

病がちだった紫の上死去しました。

光源氏は悲しみ 落胆し出家の準備をして身辺整理をしました。

久方ぶりに光源氏が人前に出ると、一段と増して素晴らしく見事に見えました。

 第3部は、匂宮(第42帖)〜夢浮橋(第54帖)薫を中心に光源氏の孫・匂宮と宇治3姉妹の愛と葛藤の物語。

 柏木の弟・按察使(あぜち)大納言は大君(おおいぎみ)を東宮に入内させた後、中の君(なかのきみ)を匂宮と結婚させたいと思いました。

一方、夫の鬚黒(ひげくろ)を亡くした玉鬘(たまかずら)は娘の身の処し方に心を悩ませました。

 故・桐壺帝の第八皇子・八の宮は、娘である大君(おおいぎみ)・中の君(なかのきみ)と宇治の山荘で暮らし仏道に専念していました。

薫は宇治の山荘に住まう八の宮を訪ねるようになり、大君と中君に心惹かれる。

薫は大君を思慕するが 大君は死去しました。

匂宮は中の君と結ばれ宇治から京へ移り住み、中の君は若宮を出産しました。

匂宮は夕霧の娘・六の君と結婚しました。

薫は今上帝の女二の宮(おんなにのみや)と結婚しました。

大君を忘れられない薫に対して、 中の君は大君に似ており東国で育った異母妹・浮舟(うきふね)のことを話しました。

宇治の山荘に移住した浮舟は薫と匂宮の双方から恋慕されました。

浮舟は入水を決意して行方をくらましました。

遺骸のないまま葬儀が行われたが 浮舟は生きていた。

浮舟は横川(よかわ)の僧都(そうず)のもとで出家しました。

宮廷のありさまや貴族の暮らしぶり登場人物たちの愛や憎しみなどが生き生きとえがかれているばかりではなく、紫式部の深い人生観が物語りの全編に しみわたっていて、紫式部と同じ時代に世界中どこを見わたしてみても、「源氏物語」のような小説はなく、日本文学の歴史でも最高峰の作品になりました。


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