スポンサード リンク

石コ賢さん

賢治は幼い頃から母には人のために尽くすように言われて育てられました。

1903年に小学校に入学してからは石や昆虫が好きで標本作りや鉱物採集に夢中になり、家族から“石コ賢さん”とあだ名をつけられるほどでした。

小学校までは勉強にも一生懸命取り組み成績も良く、精勤賞も貰いました。

そして、中学校に入学すると親元を離れ、寮生活を送りました。小学校時代からの鉱物採集は中学生になっても続いていました。

少し変わった学生だった事から“HELP”や“変人”とあだ名がつけられました。

中学の成績は中の下で国語や作文は得意でしたが数学は苦手でした。

そして、運動は苦手でしたが登山が好きで岩手山や早池峰山などに登っていました。

この頃から短歌づくりも始めますが先輩だった石川啄木の影響があったのではないかと言われています。

1912年(大正元年)5月、修学旅行で初めて海を見ました。その翌年、中学5年の時に自彊寮の舎監排訴運動などで寮にいられなくなり盛岡の浄土真宗のお寺に移ることになりました。

1914年の中学卒業後蓄膿症と発疹チフスの疑いで2ヶ月ほど入院生活を送りました。

入院中に看護婦に片思いをしたと言われています。

退院後、両親に進学の許可をもらいました。

この頃に賢治の座右の書と言われる「漢和対照妙法蓮華経」を読み感動し、法華経の信者になったと言われています。

そして、1915年1月には受験勉強をするため盛岡の時宗教浄寺に下宿をしました。


menu
賢治と家族
石コ賢さん
優秀な学生時代
国柱会〜教師へ
羅須地人協会
菜食主義者?
賢治の趣味
賢治の作品
link